2015年03月26日

自転車散歩(7)

  新居浜小学校から高浜小学校に転校した記憶が微かに残っている。新居浜小は昭和30年に新築されている。新築の校舎に入学した記憶があるので、入学後すぐ高浜小に転校したのであろう。
  週2〜3回程度、私が自転車散歩と勝手に呼ぶ運動をする。私の脚力は30km〜50kmなので、自宅から梅津寺までの往復は理想的な距離である。行先はその日の気分で変わるが、梅津寺を目指すことが比較的多い。そのようにさせるのは、小学4年頃まで梅津寺で過ごした記憶だろう――。
  夏には毎日のように、梅津寺の海岸で泳いだ。足膝には貝の傷跡が多数残されている。親父母に知られるのが嫌で、告げずに治した結果である。
  高2のときは大洲にいたが、友人と自転車の小さな旅をした。このとき行先に選んだのは、やはり梅津寺であった。
  今も浮かぶ景色がある。小学校と中学校に挟まれた家である。潮見のE ちゃん、高山のSちゃんと呼んだ2、3歳上の女の子。梅津寺海岸に向かう細い道に咲く紫陽花の花。杉鉄砲の弾にした高山に向かう細道の暴風杉。トンボ捕りをした高山に向かう細道脇の池――。
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❶高浜中裏門側
の家
❷高山の細道


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2015年03月03日

自転車散歩(6)

  高校のとき、大洲から松山(梅津寺)まで、友達と自転車の小さな旅をした。
   途中、双海付近で、ペダル取付け部が折れた。幸運にも、近くの自転車屋で修理してもらえた。梅津寺を当てもなく散策し、JR松山駅前のベンチで仮眠して、翌日帰った。
  後年、松前町に住むようになってから、自転車散歩と称して双海、下灘、長浜によく行くようになった。出来うる限り、今も残る往時の道を走るのが私の自転車散歩の流儀である。
   旧・国道378号――1965年頃、酷道と揶揄されていた――は、JR予讃線・ゆうやけこやけラインと並行して走っている。この旧国道378号は部分的ではあるが、往時の風景を今もよく残している。 高野川付近のトンネル(写真1)はレンガ積みと見紛う前壁、側壁に歴史を感じる。JR下灘付近の道路標識(写真2)は、往時の儘(まま)に残っている。標識の支柱は傾(かし)いでいる。砂利道が舗装に変わり、季節によって草木に覆われるトンネルになる。何ともはや、ロマンチックな道に変貌する。 
  家路に向う頃、斜光の中に自転車(写真3)のシルエットが浮かぶ。古の郷愁が脳裏に浮かび、高校時代の想い出がヒシシシと迫ってくる。
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❶高野川のトン
ネル
❷傾いだ標識  ❸斜光の中の自転車
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posted by 坊っちゃん at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 自転車の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月19日

自転車散歩(5)

 高校時代に柚木に下宿していた。両親は転勤族だったので一年か二年で転勤を繰り返していた。下宿の2年間を含め、中学と高校の6年間を大洲の地で過ごした。友人ができたのもこの時期であり、下宿には友人が遊びに来てくれた。読書の好きな者もいれば、将棋の好きな者もいた。如法寺川原で無邪気に遊び、夏には臥龍の淵で泳いだ。臥龍の淵は遊泳禁止だった。素潜りすると、どこまで冷たい水が続く。湧水が滞留する川底に到達し、石ころを掴んで水面に浮上する。これは子供心の消えない私の勲章であった。今では遥か昔の記憶である。
 大洲の町で遊ぶと、室生犀星の「犀川」という詩の一片が頭に浮かぶ。
 美しき川は流れたり
 そのほとりに我はすみぬ
 春は春、なつはなつの
 花つける堤に坐りて
 こまやけき本の情けと愛とを知りぬ
 いまもその川はながれ
 美しき微風ととも
  蒼き波たたへたり
posted by 坊っちゃん at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 自転車の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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